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2020/07
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祈りについて
祈り

なにかに、なにかを、祈ったことはあるだろうか。

特定の信仰を持たない日本人なら、大抵の人は
まず初詣に出かけた神社で、祈る。
「今年も良い年になりますように」
春は合格発表などで「無事に合格していますように」
新年度のクラス替えや人事異動などの際も
「いい環境でありますように」と、祈る。

もうすぐ新しい命を迎える家庭でも
反対に病や事故などで命の瀬戸際を彷徨う人を
そばで見守る人たちも。

自分の努力ではどうにもできない
だけども強く叶えたいと願うことがある時
人は手を合わせて祈る。

しかし、なにかに祈りを捧げるというのは
実は「自分はどうなってもよいので
引き換えにこの望みを叶えてください」
という偉大なるものへの交渉である。
漢字の成り立ちからして“生贄を捧げる台と
曲がった柄の先に刃がついた斧、すなわち
首を刈るための刃物”を表している。

等価交換という言葉があるが、言い換えれば
エネルギー保存の法則であって
与えたものと同等のものが返ってくるという意味だ。
首を刈られずに済んでいるのは
まだそれに値するようなことが
叶っていないだけかもしれないのだ。

祈りの力というのはとても強い。
そして、それが他人のためを想っての祈りであれば
ひたすらに果てしないエネルギーの塊となる。

ただ、残念ながら、その力がそのまま
世界平和や地球環境のために活用されることはない。

「人の為・地球の為を想って祈る」というのは
とても聞き心地が良いのだけれど
集まったエネルギーをピンハネしたり
横取りするヤカラがいることや
(そもそも最初からごっそりいただくつもりで
集められているパターンも多い)
そこになんらかの意図が働いたとたんに
エネルギーが純度を失ってしまうこと
などの理由による。

たとえひとりひとりは純粋であっても、
あらゆる色の絵の具を重ねていくと黒になるように
その数が増えるにつれてどんどん濁っていく。
目的に向けて発せられた意図には質量が生じるので
数が増えれば増えるほど重くなり、低次に落ちてしまうのだ。

もし、世界を良くしたいと願っているならば
なにかに向けて祈ってはいけない。
世界は自らの内側にこそ在る。

以前の記事で少し書いたが
『内圧を高める』2020.01.28
自我を、個を離れて“今この瞬間”にすべてを捧げ
集中するという行為そのものが真の祈りとなる。

神経を研ぎ澄ませて筆を走らせる書道家や
繊細に時にダイナミックに全身で表現をするダンサー
指先のすみずみまで瞬時に操る演奏家などが
人の心を打つのは、そこに祈りを見るからだ。

祈りによって完成されたものには神が宿る。
表された聖なるものに、私達は惹きつけられる。
祈った人も、圧力の高まりによって生じた
上昇気流に乗って浮上し、内側から輝きを放つ光となる。
それぞれが重なることで無限に広がって、さらに輝きを増していく。
それこそが、世界を包む本当の光の姿だ。

なにかに向けて祈ってはいけない。
自らがまばゆい光を放つ存在として輝くために
なにをやりたいのか、やりたいことを如何にして成すのか、を
自らに問い、追求していく。
ひとりひとりにできること、そして
今、本当にやるべきことは、それのみだ。

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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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